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ヒロシマ原爆投下の日 [心の栄養]

二年前にも、ヨハネ・パウロ二世教皇の「広島平和アピール」をブログに書きました。



何回読んでも感じるものがあるので、

今年も「広島平和アピール」の中から抜粋したいと思います。

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戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。

戦争は死です。

この広島の町、この平和記念堂ほど強烈に、この真理を世界に訴えている場所はほかにありません。もはや切っても切れない対をなしている二つの町、日本の二つの町、広島と長崎は、「人間は信じられないほどの破壊ができる」ということの証として、存在する悲運を担った、世界に類のない町です。

この二つの町は、「戦争こそ、平和な世界をつくろうとする人間の努力を、いっさい無にする」と、将来の世代に向かって警告しつづける、現代にまたとない町として、永久にその名をとどめることでしょう。

 広島市長をはじめ、ここに集まられた友人の皆さん、私の声に耳を傾けているすべてのかたがた、私のメッセージが届くすべてのかたがたに申します。

 自然が慈悲深く地上の傷をいやしていますが、人間の憎悪と敵意の歴史を消し去ることはできません。
こうした数多くの場所や記念碑の中でも、特に広島、長崎は、核戦争の最初の被災地として、その名を知られています。

過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。

広島市の皆さんは、最初の原子爆弾投下の記念碑を、賢明にも平和の記念碑とされました。
わたしは、この英断に敬意を表し、その考えに賛同します。

平和記念碑を造ることにより、広島市と日本国民は、「自分たちは平和な世界を希求し、人間は戦争もできるが、平和を打ち立てることもできるのだ」という信念を力強く表明しました。

 核兵器は力の均衡を保ち、恐怖の均衡を保つため、いたし方のないものだとする人もいます。
しかし、戦争と核兵器の脅威にさらされながら、それを防ぐための、各国家の呆たすべき役割、個々人の役割を考えないですますことは許されません。

わたしが国連総会で述べたことを、ここに再び繰り返します。
「各国で、数多くのより強力で進歩した兵器が造られ、戦争へ向けての準備が絶え間なく進められています。
それは、戦争の準備をしたいという意欲があるということであり、準備がととのうということは戦争開始が可能だということを意味します」。

 過去の過ち、暴力と破壊とに満ちた過去の過ちを、繰り返してはなりません。
険しく困難ではありますが、平和への道を歩もうではありませんか。
その道こそが、人間の尊厳を尊厳たらしめるものであり、人間の運命を全うさせるものであります。

平和への道のみが、平等、正義、隣人愛を遠くの夢ではなく、現実のものとする道なのです。

各国の元首、政府首脳、政治・経済上の指導者に次のように申します。
正義のもとでの平和を誓おうではありませんか。
今、この時点で、紛争解決の手段としての戦争は、許されるべきではないというかたい決意をしようではありませんか。人類同胞に向って、軍備縮小とすべての核兵器の破棄とを約束しようではありませんか。
暴力と憎しみにかえて、信頼と思いやりを持とうではありませんか。


テレビ中継で記念行事を観ていましたが、
献花する動作にもその人の気持ちが表れるものだということが分かりました。
為政者の殆どが戦争体験者ではありません。
いまある平和は「自分たち政治家のお陰だ」という驕った献花の姿勢を
万人の眼が見つめています。
いまある平和は、献花をしようとしている御霊の尊い犠牲の賜物です。

憶測ですが、法事などでも、献花や、ご焼香に向かう後ろ姿で
御霊に真の哀悼を告げているか否かが分かります。
お線香やご焼香の作法にこだわる人がいます。
確かにそれも大切なことですが、もっと大切なのは
どれだけ御霊に感謝のきもちを込められるか、かだと思います。

 


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